BIOSPHERE 20年後を目指した地域戦略を考える
経済学(元は数学)に「ゲームの理論」という面白い分野があります。
簡単に言えば、ポーカーやブリッジなどの心理的駆け引き、必勝法のようなものを
数理的に分析し、現実の国際政治学などに応用するという学問です。
「囚人のジレンマ」などが知られています。
難しい説明は抜きにして、実際にやってみましょう。
私が1万円札を持って皆さんの前に立っているとします。
今から1万円札のオークションを始めます。
この1万円札を皆さんで競り落としてください。いくらからでも結構。
最高値をつけた方に1万円をお渡しします。
・・・しかし、これでは私は損するだけなので、ちょっとだけ条件をつけます。
最高値をつけた方には1万円をお渡ししますが、2番目の値をつけた方は
その金額をそっくり私に下さい。これだけのルールです。
さあ、どうです?・・・皆さんは、このオークションに参加しますか?
・・・おっ、さっそく「1000円!」との声がかかりました。
他の方、どうですか?・・・「はい、1100円」。「1300円!」。
もういませんか?・・・はい、どうぞ「1500円!」「1600円」・・・「1900円」。「2000円!」。
・・・もういませんか?
はい。では現在の最高値は2000円です。
他にいないようですので、「2000円」の値をつけた山田さんが1万円を競り落としました。
では、「1900円」の値をつけた渡辺さんは1900円を私に支払ってください。
ではこれでオークションを終了・・・、おっと。
今、渡辺さんから「2100円!」の声がかかりました。
では、私は山田さんから「2000円」いただくことになります。
え?山田さん「2200円」ですか?・・・渡辺さん「2500円!」。
おっ、山田さん「3000円」にアップ。渡辺さん、負けじと「4000円」。
・・・さて、皆さんはこのオークションの結末、どうなると思いますか?
当然のことながら両者は競り合って、「1万円」までは行くはずです。
仮に山田さんが「1万円」、渡辺さんは「9000円」だったとします。
ここでやめると、渡辺さんは9000円丸々損します。
でも「11,000円」の値をつければ、損失は千円で済む。
ですから渡辺さんは「11000円」の値をつけようとします。
すると今度は山田さんが「1万円」の損になるので
「12000円」の値をつけざるを得ない。かくして値はどんどんつり上がって行く。
・・・これは恐ろしい結末となります。学問的にいうと均衡点が存在しない。
途中で「もうやめた」と言った側が、金を仕払わなければならないわけです。
値が上がれば上がるほど支払う額は大きくなるので、とにかく相手に勝たねばならない。
小さな利益を狙った競争が、いつの間にか巨大な損失を避ける戦いに変質してしまう。
ここに「1万円のオークション」というゲームの恐ろしさがあるわけです。
かつてのベトナム戦争における米ソの戦いがこのケースでした。
勝ってもほとんど利益にもならないベトナムという弱小国を巡って、
両国は巨額の戦費を投入し、多大な犠牲者を生み出しました。
ビデオテープをめぐるVHSとベータ方式の競争もそうでした。
この競争に負けた側は、これまでの膨大な開発費や宣伝費が無になり、
ひいては会社そのものが危うくなる。
アップル社とマイクロソフト社の激しい戦いは今も続いています。
スーパーの安売り競争もこれに当てはまる。千円を切るジーンズの競争、
運送会社の価格競争、価格0円の携帯電話・・・。
いや、おしなべて企業の競争、つまり経済競争の本質とは、
この「1万円のオークション」と同じなのです。
つまり、このゲームの解を知っていないと、参加したものは蟻地獄に陥ってしまう。
・・・さて、皆さん。この「1万円のオークション」の解とは何でしょうか?
簡単です。皆で話し合って決めればいい。一人が「1000円」と言い、次の人は「1001円」。それで終わればいいのです。1万円を1001円で買い、8999円を参加者全員で分配。
誰かが欲を出さなければ、皆が同じだけ幸せになれる。
少なくとも大きな損失だけは避けられる。
平和的共存の方がはるかに賢明なことは分っているはずなのに、
戦争はいつまでもなくならない。無益な経済競争もなくならない・・・。
そして、私たちの社会はこうした「1万円札のオークション」に夢中になるあまり、
最もかけがえのない財産である水、土、動植物、そして農村までも失ってしまうという
悪夢のような時代を迎えることになるのでしょうか?
・・・日本はそれほど馬鹿じゃないことを祈るだけです。
(2010.3.3 加筆修正)
ご返信、ありがとうございます。
生産の現場である農家からのご意見は私にとってたいへん貴重なものです。
心よりお礼申し上げます。
さて、さっそくですが、ご指摘の内容について書かせていただきます。
「私としては、こんな馬鹿げた競争に農村や山村が巻き込まれないことを祈るだけです。」
これは、残念ながら本心から書いたものです。
ご指摘のとおり、現在の農村、あるいは農家の多くは現実的に「1万円札のオークション」に巻き込まれていると思います。
しかし、私には、「だからこの蟻地獄から脱出すべきだ」とはどうしても言えません。
そんなことを書けば、それこそ現実の農村を見ていない、都会に住む人間の言い草ということになります。
私も現実の農家の暮らしが厳しいことは多少なりとも学んできました。
そして、そういう蟻地獄に陥っている要因は、個々の農家が原因でないこともよく解っているつもりです。
農政、あるいは日本の経済構造、流通業、特にスーパーなどの小売業(もっと言えば工業化社会そのもの)などが、よってたかって造り上げてきた堅牢なシステム(=蟻地獄)です。
農家がこれに逆らったところで食べていけません。
10数年前の苦い経験を思い出します。
学者さんたちとある農村に視察で訪れたとき、私たちは3面コンクリート張りの水路を見てあれこれ批判しました。
「魚が棲まなくなる」「蛍もこれじゃ飛ばない」「景観的には元の石積み水路の方がいい」「春の小川を取り戻すべきだ」・・・。
生態学者も一緒だったのと、私がドイツから帰ってきたばかりだったこともあって、特に私は、農村の景観美の観点からコンクリート水路を批判しました。「ドイツでは、いまコンクリート水路を全部元の土水路に戻しているんです」などと学者面をして言ったことを覚えています。
しかし、農家の方はこう言いました。「だけど、先生方、俺たちはこれでようやく水路の草刈りから解放されたんだ。ヘビもいなくなった。子供が水路に滑り落ちる危険もなくなった。」
愕然としました。頭を大きなマサカリでガツンと殴られた気分でした。
私は農村のことを何にも分っちゃいない。
都会に住み、都会人の都合でモノを言ってるだけ。何が「ドイツでは」だ。何が「景観的には」だ・・・。消え入りたい気分でした。
この経験は身に染みました。
しかし、それ以後、何度も何度も同じような恥ずかしい目に合いました。
本当に私は農村のことを知らない。自分が情けない。
本当に農村に暮らしてみないと農村のことは分りはしません。
「農村を知らずに農村を語るな。農業を知らずに農業を語るな」。これが今も私の信条、自分への戒めの言葉です。
だが同時に、それを忠実に守ったら私は農業農村から身を引かねばならない。
私に農業農村を語る資格などないことは充分に承知しています。
事実、これまでにどれほど身を引こうと思ったことか・・・。
でも、できない。どうしてもできません。
私たちの世代は、私たち都会の人間は、農の価値を見落としてきた。
そのツケが私たちの次世代に回ってこようとしている。いや、すでに今もそれは現実化している。
この活動は企業社会で生きてきた自分の半生に対する、そして次世代に対する罪ほろぼしという止むに止まれぬ気持ちから始めたものです。
何か農村を知らない私でもできることはないか。
広報戦略でつちかったノウハウを地域経営、地域戦略に活かせないものか。
数年間、模索してよくやく「Think About 2030」のサイト、そしてこのコラムなどを始めました。
今回のSさんのご指摘は、ごもっともです。
「本当に農村や漁村、そこに住まう人の事を考えている言葉ではないと激しい憤りを覚えます。」
しかし、私は農村に向かって、「考えが足りないから、こんな蟻地獄に陥っているんです」とは口が裂けても言えない。
「流通業界に振り回されるな」とも言えない。
「20年後の地域戦略はこうあるべきだ」などと評論家のような言論も似合いません。
第一、農村の諸問題は農村だけで解決できるような単純なものではないと思っています。
特に都市側の経済システム、都市住民の価値観が変わらなければどうしようもない。
そして、それは私どもの非力では如何ともしがたい。
私にできることといえば、これ以上農村が都市経済に巻き込まれないよう祈るだけです。
「祈るだけですとは、何ですか?祈るだけでは状況は変わらないのではないです
か?真に、農村のことを思っていたらこの言葉は出てこないです。絶対に。」
どう言われても、私には祈るしかない。私には農村の状況を変える力がありません。
変える力がなければ祈るしかない。旅行に出た娘を待っている間、無事を祈るしかないように。
Sさんは「20年後の地域戦略を考える」と題したコラムで、「祈るだけ」と結んだことを無責任とお感じになったと思います。
ごもっともです。しかし、それは無責任というより、私の非力から出た言葉。
非力が無責任、非力なら言うべきでないと言われれば、黙ってうなだれるしかありません。
私どもがこのプロジェクトでできること、それは都市の方々に「考える題材を提供すること」。
それくらいしかできないし、またやる資格もないと思っています。
まさに「Think About 2030」。だから、このサイトでも主張らしい主張はほとんどしていません。
実は、このコラムを続けることも悩んでいます。
しょせん、「都市から目線」です。もっと言えば「評論家目線」かも知れない。
農村に住む方々を不愉快な気分にさせることも書かねばならない。
これまでは極力、都市側の経済システムについて書いてきたつもりですが、この先、戦略について述べようとすると、どうしても農村の置かれている状況について取り上げなければならない。
しかし、時として今回のように、私の配慮不足から、あるいはどれだけ配慮をしても、農村の方々を傷つけてしまうこともある。これからも充分に起こりうることです。
上で申したように、私には農村を語る資格などない。まして傷つける資格などありません。
そして、それは元より私の本意ではありません。
私は農村や農家の人にすり寄る気持ちはありません。おためごかしなことを書いてご機嫌を取るつもりもありません。
ただただ、私自身を含めて都市住民の価値観を少しでも変えたい。
都市経済そのものが陥っているもろもろの蟻地獄、そして我々にとって最も大切にしなければならない農山村までも、この度し難い都市経済の蟻地獄に巻き込んでいることを力の限り訴えたい。
ご不快な気分にさせて申し訳なく思っています。以上が、私の偽らざる本心です。
しかし、Sさんのご意見ももっともだと思います。
遅まきながら、結末の一文は次のように変えたいと思います。
◆
平和的共存の方がはるかに賢明なことは分っているはずなのに、
戦争はいつまでもなくならない。無益な経済競争もなくならない・・・。
そして、私たちの社会はこうした「1万円札のオークション」に夢中になるあまり、最もかけがえのない財産である水、土、動植物、そして農村までも失ってしまうという悪夢のような時代を迎えることになるのでしょうか?
・・・日本はそれほど馬鹿じゃないことを祈るだけです。
◆
田園社会プロジェクト 金子照美
(Sさんからのメール)
今回の内容の一番最後の文章が、本心からでているものではないと思いますが適切ではないと感じましたので、ご迷惑とは存じつつメールを書かせて頂いております。
「私としては、こんな馬鹿げた競争に農村や山村が巻き込まれないことを祈るだけです。」
このお言葉は、大変無責任ではないでしょうか。20年後の農村を考えるのであれば。
そして、実際には如何に田舎の農村や小部落であっても既に経済的観点から見たとき「1万円のオークション」に巻き込まれていることは明白ではないでしょうか。
安売り競争が「1万円のオークション」の原理と合致しているというのであれば尚の事。
本当に農村や漁村、そこに住まう人の事を考えている言葉ではないと激しい憤りを覚えます。
祈るだけですとは、何ですか?祈るだけでは状況は変わらないのではないですか?
真に、農村のことを思っていたらこの言葉は出てこないです。絶対に。
なにか世間に対してよい事をしようとか貢献できたらいいとかお考えでしょうが、どこかに甘えがあるのに、このようなご活動をなされているのでしょうか?
お返事の内容によっては、楽しみにしていたメルマガですが、解除しようと思います。
「誰かが欲を出さなければ、皆が同じだけ幸せになれる。」ライアーゲーム的ですね。
共存は難しい。そうせざるを得ない非常事態になるまで、突っ走るでしょうね。。。
運命共同体と云いますか、友愛の精神ですかね。
(Sさんからのメール)
外側で声を上げても、その渦中にいる人間には恐らく届かない事が多いのではないでしょうか。(この場合、農山村)
渦中に入らなければ、分からないことは多くあると思います。
金子様は、20年後の農村の荒廃した姿がイメージできてしまうのだと思います。
農村部に住まう私たちも、このまま行けばどうなるのか、大体の予想はつきます。
金子様の20年後の田園社会のビジョンはどの様なものでしょうか?
その為に、こちらのご活動をなさっておられるものと存じております。
金子様のお持ちになっているビジョンを、実現するための具体的な実践方法を呈示してくだされば、良いのだと思います。
解決策です。
20年後には、私は60歳を超えています。日本の労働人口も現在よりも1千万人減るそうですね。
社会の構造そのものがこれまでとは全く変わってくるのですから、必然的にシステムそのものも変わるでしょうね。
だから、どんな時代が来ようとも、絶対に変化しないところをついた革新的なことが行えればいい。
何千年の歴史が流れても、人間の営みに必要なものは絶対に変わっていないはずです。
用水路がコンクリートのU字溝に変わって、生態系に大きな影響がでたはずです。
その時に研究者や金子様がご指摘になったことは、私は正しいことだと思います。
なぜなら、そこに住んでいたはずの微生物、昆虫、両生類や魚、鳥などの生態系が破壊されたでしょうから。
本当は、生態系を破壊せずに農業者が豊かに暮らせるシステムを作らなかったことが現象面での問題だと思います。
それから、農業者自身があらゆる面で、また自分たちの生活の存続に必要な情報発信活動を怠ってきたとも言えるでしょう。
金子様は、かなり正直な方だと思いました。そして素直な面もおありと存じます。
只、私ごときの人間の文章に、信念を持って行っている事業の核心の部分を自らお曲げになったことに農業者の私は少々残念な気持ちです。
金子様の戦略をもって激しく反論して欲しかったです。
この問題は、単に都会生活者とか農業者だけの問題ではないことを見抜かれておられますね。私もその通りだと存じます。
これは、日本という国の存続に関わる一大事です。
人間は如何にあるべきか、人間のあるべき姿を追求しなくてはいけません。
都会生活者、平たく言えば消費者と農業者の双方の価値観を変化させなければいけないことだと思います。
私もまだ暗中模索の状態ではありますけれども、なにか打開策があるはずだと思い、情報収集や町内の有志と活動を始めています。
僅か8000人足らずの町に、農業者や主婦を中心に十数団体が立ち上がりました。
行政側も積極的に後押しをしてくださり、かなり密度の濃いセミナーもこの冬から始まっております。
もしかしたらうまく動き始めるのかも知れません(私もその一員なので希望的観測の域をでませんが)。
そうした取り組み内容も、もしかしたら金子様の活動の一助になるかもしれません。