BIOSPHERE 20年後を目指した地域戦略を考える
以前、「ない」と「いらない」の話をしましたが、「あってはならない」ものもあるはずです。
真っ先に思い浮かぶのは拳銃や麻薬などの非合法なものですが、
もっと日常的で文明の利器とも言えそうなもの。
例えば、子供のゲームは禁止という家庭もあります。
この場合、親は、ゲームは子供にいい影響を与えない、
つまり「あってはならない」と考えているわけです。
子供に携帯電話を持たせない家もあります。TVを見せない家もあります。
これは「ゲームのいらない家」「TVのいらない家庭」とは少し違いますよね。
以前、KJ法の開発で有名な川喜田二郎先生の本『創造と伝統』(祥伝社)を読んで、
次のことが非常に印象に残りました。
先生は登山家でもありましたが、ヒマラヤの奥地に学術調査に行った時のことです。
滞在した集落へ、お礼の意味も込めての技術協力ということで、
裏山から集落までワイヤーロープを張ることを提案したそうです。
山で採った草とか薪などの生活物資をロープに吊るしたカゴで運ぶという仕組みです。
地元の人たちが強い関心と情熱を示す中で、村長だけは断固反対したらしい。
村長の意見を要約すれば、
そのロープの導入によって村人の生活スタイルはがらっと変わる。
経済的にプラスどころか村が潰れてしまう、という理由です。
本にはそれだけのことしか書いてなくその集落がどうなったかも知らないのですが、
私なりに村長の思いを想像してみます。
村人にとって裏山はかけがえのない財産。しかし、毒ヘビもいれば熊もいる。
どこに沢が流れ、どこが崩れやすく、どこに獣道があり、
どこにどんな草や木が生えているのかすべてを知っておかなければならない。
そのために村人は子供たち全員を連れて一日中、山中を歩き回る。
それが彼らの仕事でした。
その間、村に残った女性たちは洗濯やら食事の支度、
機織りや裁縫などの日常的仕事を片付ける。
確かに山からの草や薪ではお金にならず、自給自足が精一杯。
貧しいには違いないが、そういう暮らしを何百年も続けてきたはずです。
しかし、ワイヤーロープが設置されたとします。
作業は数十倍にもはかどります。山のいたるところにワイヤーロープが張られる。
そして、余った草や薪を町に売りにいく。木材、薬草、動物までもがお金になります。
それらの金でエンジンを買い、モーター式ワイヤーへと進化、さらに生産性が上がります。
・・・そして生態系が乱れ、数年後に山は荒れ始める。いわゆる過剰搾取です。
一方、男たちの稼いだお金で女性は洗濯機やミシンやガスレンジを買う。
時間が余るので内職を始める。
子供たちは山で学ぶ機会もなくなり、成長すると町へ働きに出る。
山が荒れて稼ぎがなくなると、男たちは町へ働きに出る。
そうして徐々に村の人口は減り続け、遂に集落は・・・。
おそらく村長はそうした村の姿が眼に浮かんだのではないでしょうか。
この場合、ワイヤーロープは村にとって「あってはならない」ものになるはずです。
一見文明的で経済的にプラスになると思えるものが、
何百年と続いてきた村をわずか数年で潰してしまう。
「貧は守り易く、富は守り難し」の文明的事例とも言えそうです。
それにしてもこの村長さん。すごい慧眼の持ち主というか、
どこの村にもよくいる保守的な頑固者というか・・・。
さて、皆さんはどう評価します?
こんな村長さんが代々守り続けているから、この村のこの暮らしは何百年も続いているのではないでしょうか。
古代文明の遺跡を思い起こしてみると、エジプト、メソポタミア、インダスどれも砂漠の中にぽつんと佇んでいるイメージ。
当然、当時はこんな所に好き好んで都市を造る筈も無く、過剰搾取の結果がそこに取り残されているような気がしてなりません。歴史に学ぼうとするのなら、そこに生きていた人々は我々に何を残しているのでしょうか。
村長さんはとても大切な物を守り続けている?のでは。
難しい問題ですよね。
昔テレビでどこかのアマゾンに住んでるある民族のドキュメントがありました。
彼らは裸で生活していて、自給自足の生活をしていました。
そして、先進国の人たちが来て、彼らに服を着ることをすすめ、そのほかの沢山の便利なものを
もっていきました。やがて村の8割近くの人がジーパンやシャツを着るようになりました。
最後に、みんな服を着ている中で、近代文明を受け入れないで裸で歩いている男たちが歩いている人たちが
いました。その確固とした姿がとてもかっこよかったのが印象的です。
人は必ず豊かになりたいと思う欲求があると思います。
しかし、本当の”豊かさ”とはなんでしょうか。お金?立派な家?豪華な食事?いい車?
すべて必要かもしれませんが、今あるものに感謝して生活することで
豊かになるんじゃないでしょうか。あれがないこれがない、じゃなく
これがある、あれがあるって考えたら意外と不自由なく暮らせるかも
しれないと思います。
後世の住民の価値観の変化によって、この代の村長さんの判断が正しかったとされる時代とそうでない時代がありそうです。その時、良かれと下した発展の決断も、いい時期が過ぎれば非難されるでしょうし、保守的な決断も、周辺の村が発展していけば、「隣の芝生は青い」で非難されるでしょう。
前回、前々回のお話もそうですが、自分たちの地域を「どこか」と比べることをやめない限り、慧眼と頑固者の評価が入れ替わるループからは抜けられないのではないでしょうか。ヒマラヤの奥地のお話でしたが、特に日本で比べずにいることはとても難しい。どちらの決断を下すにせよ、地域住民が地域の将来に責任を持って向き合うことができればと思います。
因みに私はこの村長、周りには保守的な頑固者と呼ばれる慧眼の持ち主だと思います。
判断の是非より、地域の財産を良く知り、そこから地域の将来を考えるというスタンスだから。
今回の内容で気になったところは、あってはならないものの冒頭に拳銃や薬物がありましたが、両方とも管理の下では現在は無くてはならない物だと思います。
お巡りさんや狩猟者の拳銃やライフルは必需品ですし薬物も微量では薬品ということになります。(不要な物もある)人間の管理には限界がありますので、無管理状態ではクルマや携帯や原子力でさえ武器や危険な物となるでしょう。
村長さんがワイヤーロープの導入を阻止して今までのライフスタイルを存続させたことは、重要かもしれません。しかし、村長さんの世代が変わったときに変化が起きるでしょう。
もしかしたら金子さんが心配されたような事がおきたかもしれませんね。
それが時代の流れであって世代の人間らしい変化なのかもしれません。
一回楽を知った人間は元に戻ることは容易ではありません。
ワイヤーロープがそういうものならば、それを使うルールをどうするか、が重要かもしれません。
慧眼の持ち主
“あってはならない”と考えることができる人が増えれば、とても素敵なことだと思います。
ただ、なんでも手に入る今の日本では、もう、村長さんみたいな人には出会えないかもしれない。
そう考えると、少し悲しくなりました。
分からないです。
村長さんがコラムにある様な村を聞いたりしていれば、
慧眼の持ち主という回答になるかもしれません。