BIOSPHERE 20年後を目指した地域戦略を考える
病院のない町、と聞くと「おやおや、お気の毒に」と思ってしまいます。
水道のない村、・・・え?・・・まだそんな地域があるの?という感じですね。
遊園地のない町。レストランのない町。老人施設のない町。小学校のない村・・・。
いずれも、よほど山奥の村か外国の貧しい村を想像しますよね。
ところが、「病院のいらない町」と聞くと、とたんに様相は変わります。
「病院がいらない?・・・町の人は病気にならないの?・・・
そんなウソみたいな町があるの!?」
「水道のない村」と言うと貧しいイメージですが、「水道のいらない村」と聞くと、
俄然、緑や水の豊かな村を想像します。
あちこちから清冽な山水が湧き出ていて、「カルキ臭い水道水なんて飲めたもんじゃないね」
という村人の声まで聞こえてきそうです。
「遊園地のいらない村」。森でのターザンごっこ、木登りに小屋作り、川くだり、
魚とりに蝉とり、田んぼでの泥遊び。昔、農山村は子供たちにとって遊びの天国、
冒険の王国でした。車もいないし、お金もいりません。
「レストランのいらない町」は、町中に新鮮な食材や郷土料理があふれているイメージ。
「老人施設のいらない町」は、お年寄りが皆元気でワイワイ楽しそうに遊んでる町。
「小学校のいらない村」。読み書きは両親から。集落の大人全員が教師で村全部が自然の大教室。
こんな村で子供を育ててみたいと思いませんか?
とにかく「ない」と「いらない」では180度イメージが変わります。
「お金のない人、いらない人」「車のない人、いらない人」「趣味のない人、いらない人」
「妻のない人、いらない人(笑)」・・・。
いずれも「いらない人」の方がはるかに羨ましい存在となります。
戦後の地方行政はおおむね、地元にないものを探してきて建設・導入する
という政策であったと言えます。
道路がない、橋がない、鉄道がない。水道、下水、ダム、企業・・・・。
地方の首長や議員さんたちは霞ヶ関へ出向き、自分の地域がいかに遅れているかを力説して
国の事業を誘致してきました。
いわば、日本中が「ないものねだり」の競争、公共事業の奪い合い。その結果、
おしなべて日本は便利で快適な国になったとも言えます。
しかし、「水道のいらない村」の方が豊かな感じがするのは文明の皮肉でしょうか。
ところで、この「ない」「いらない」ですが、当てはまらないものもあります。
それなくして生きてはいけないもの。「水のいらない町」では生きてはいけません。
「農地のいらない町」は食料危機になったらどうするのでしょう?
「土のいらない町」。コンクリートばかり?少なくとも私はこんな町、嫌です。
「緑のいらない町」。・・・嫌だ、嫌です。
でも、現実的には、日本はどんどん農地を失い、水は汚れ、コンクリートばかりで、
緑の少ない国になっていったのです。
いずれにせよ、この「ない」「ある」「いらない」を並べてみると、文明や文化の成熟度を
表しているような気がします。「水道のない村」「水道のある村」「水道のいらない村」。
これからの地域戦略を考える場合、「○○のいらない町」を目指すというのは
大きな方向性になるかもしれませんね。
「ない」→「ある」→「いらない」が文化の成熟度という視点はいいですね。
「いらない」と言うには、大きな価値観の転換が必要でしょうし、「ある」を経験していないと言えないことかもしれません。
個人の生活も、物欲に溺れず、足るを知ることがこれからの豊かさということなのでしょうか。
総中流という構図が崩れてゆく中で、“足るを知らざるを得ない”ということになっていくのかもしれませんが。
都市や企業が煽る物欲に、ある種依存的になってしまっている私個人には、「いらない」は成熟だろうと思います。
都市的な価値観から見れば、田舎には「ある」を経験していないことがまだまだあるのでしょう。
地域独自の価値観を地域で共有し、都市に対するということが大切なのでしょうか。
ない、は無いのですが、いらないには大きく分けて
2種類あると思います。
もういっぱいあるからいらない、などというものと
違うものがあるか、必要ないからいらないというものです。
いらないというのはファジーでイメージ的なので
不必要な理由が重要と私は思いました。
奄美には自然はいっぱいあるのですが、仕事やお金が
足りません。お年よりはいっぱい?いらっしゃるのですが
子供等が少ないのです。
私は乗用車は欲しくないですが、最低限のトラックは必要です。
政権が交代し行政刷新なんとかやらが予算削減の審議をしていますが、わずかな時間で廃止・見送りなどの結論を出して良いのでしょうか、甚だ疑問です。一方では所得保障などと言っている反面、農林水産業に対する風当たりが強いように思います。
私もそう思います。
隣町にはあるが我がまちには無いからと、考えではなく地域資源を活用し、地域独自のやりかたがあっても良いと考えています。
無いものねだりはしないように頑張りたいと思います。
「ない」と「いらない」考え方をかえるだけでも幸せになれるのかもしれませんね。
「豊かさや便利さからの脱却」
勇気が要ります。しかし、できるものから少しづつでもやって行かなくては・・・
そういえば、子供のころ虫取りなどをして遊んだ‘原っぱ’が身近にないことを
ふと、思い出しました。
何でもかんでも効率一辺倒。
昨今の事業仕分なるものもその一つかと思う。
何か聞いているとますます大都会に住む者のためにあるもののように感じてしまうのは私だけか。
日本の国はそんな国なのか。
少子高齢化が叫ばれて久しいが、山奥に営々と澄み続けてきた人たちは早く便利な都会に出てきて暮らせ。
そう言われているような気がする。
大都会に住む高級官僚の天下り人生はいただけないが、そんな人たちは山奥に行って間伐作業などやってみたらいいと思う。
いわゆる山間僻地といわれるところで生活している人たちがどんな思いで公共事業を待ちわびているか。
一日一台の車の通る道路がどんなにこの人たちを勇気づけているのか。
一日千秋の思いで高速道路を待ちわびているか。
大都会の人にはわからないだろうな。
人の住まなくなった土地には大自然が戻るかもしれない。
だがそれが人類のためになるかどうかはわからない。
自然は大事た。
管理された自然の風景が美しいのであって放置された自然は美しくない。